
小中学校時代の親友で、オートバイのレーサーになった友人がいます。
今回はその話をしますが、その前に、なぜそうなって、何が起きて、結局どうなったのかを書きます。笑
昔、16歳で軽自動車の免許が取れる時代がありました。免許が欲しくてしょうがなかった私は、すぐに教習所に通い、〝軽免〟を取得しました!
しかし、高校1年生に時速100キロ以上出せる〝走る凶器〟の免許を与えるという法律の危うさに、やっと気づいた政府は、私の年代を最後にこの制度を廃止しました。笑
ところが私は、360ccの自動車を運転でき、なおかつ50ccとはいえ二輪車も運転していいという〝特権〟を与えられることになったのです。
ちょっと前まで中学生だった私に……。
そこで、まず〝リトルホンダ〟という、オシャレなバイクの先駆けのような原付を買いました。←誤(正:親に買ってもらいました。)
それを親友に見せびらかしに行ったところ、ものすごく羨ましがられました。

※掲載画像はAIで生成したものです
違う高校に通っていた友人なので、しばらく会っていなかったのですが、ある日突然、二輪車に乗った親友が私の家の前にやってきました!
しかも、私の軟弱なオシャレバイクとは違い、ホンダのSS50というスポーツタイプの〝カッコイイ系〟のバイクでした。
制限速度が時速30キロという原付の決まりを無視したような高性能タイプです。そして、その性能に魅せられた彼は、たびたびスピード違反で捕まるようになりました。
そこで私が「そんなにスピードを出したかったら、レーサーになればいいじゃん」と軽口をたたくと、彼も「だよね」と応じました。
まさか、それが本当のことになろうとは……。
最初は草レースから始め、ついにはMFJ公認の「ノービス」という競技用ライセンスまで取ってしまいました。

※掲載画像はAIで生成したものです
ある時、彼から「筑波サーキットのMFJ公認レースに出ることになった」という連絡が来ました。
「ほーっ、すごいね」と、少し他人事のように「頑張れよ」と励ましたところ、
「あのね、個人エントリーなのでスタッフがいないから、ピットクルーになってほしいんだよね」
と言われました。
「ふんふん、え?っ!!!」
驚いた私は、すかさず答えました。
「メカのことはわからないし、何にもわからないよ。ムリムリ!」
すると彼は、
「いや、ピットの中にいて、黒板で周回数だけ教えてくれればいいから。それと、二人必要なんで〇〇にも声をかけたから頼む!」
ということで、訳もわからないまま、私も筑波サーキットデビューすることになりました。笑
チューニングも何もかも一人でやっている彼のデビュー戦が、訳のわからないまま始まりました。
とにかく周回数を書き、走り去る親友のバイクに向けて、爆音の中、黒板を掲げ続けました。そして、あっという間にレースは終了。
ちょっと映画の登場人物になったような気もして面白かったのですが、どうやら周回数を間違えていたらしく、彼は怒っていました。笑
これが彼のデビュー戦です。
その後、彼はヤマハに所属するレーシングクラブのレーサーになっていきました。
私がリトルホンダを見せびらかし、「レーサーになれば」と言ったのが、そもそものきっかけです。
そして彼は、なんと、とても綺麗なレースクイーンと結婚することになりました。
私のおかげです。笑
それから長い年月が経ち、お互い中年になったある日のこと。
すでに年に一度、あるいは何年かに一度しか会わなくなっていた彼から、突然電話がありました。
いきなり、
「あれ、大木(私)だろう?」
と言ってきました。
「えっ、何?」
と聞くと、
「ヤマハの新しいマシンを買ったらTシャツがついてきてね。ヤマハのスターレーサーの似顔絵が描かれていたんだけど、あれ、お前が描いたんだろう!?」
ということでした。
そうなんです。
実は、ある広告代理店を通してヤマハの仕事をしていた時期があり、ヤマハが契約している外国人レーサーの似顔絵を何人も描いていたのです。
そのことを思い出しました。
子どもの頃から私の描いたイタズラ書きのタッチを覚えていたようで、さすが親友だと思いました。
彼はレーサーになり、私はデザイナーになりました。
そうそう、もう一人、一緒にピットに入った友人は獣医になりました。
みんなそれぞれの道を歩いても、友達は友達です。
時々、筑波サーキットの話で笑っています。
遠い昔の思い出です。